その他
【歌詞考察】ミスチル「くるみ」の本当の意味とは?深掘り解説
2025.08.10
こんにちは!Mr.Children(ミスチル)の楽曲をこよなく愛する私が、今回は2003年にリリースされて以来、世代を超えて多くの人々の心を掴んで離さない名曲、「くるみ」の歌詞の魅力について、マニアックな視点から徹底的に掘り下げていきたいと思います。
このミスチルの「くるみ」という曲、不思議な魅力がありますよね。初めて聴いた学生時代、社会に出てから、そして人生の節目節目で聴くたびに、まるでスルメのように味わいが深まり、新しい感動を与えてくれます。「この歌詞、まるで自分のことみたい…」と感じた経験があるのは、きっと私だけではないはずです。
リスナーからは、「辛い時に聴くと自然と涙が出る」「自分の人生の応援歌です」といった声が絶えません。なぜこれほどまでに、ミスチル「くるみ」の歌詞は私たちの心に響くのでしょうか。
この記事では、そんな「くるみ」の歌詞に隠された、特に心に響く4つのメッセージをピックアップし、その意味を深く、そして熱く考察していきます。「ミスチルの『くるみ』は好きだけど、歌詞の意味まで深く考えたことはなかったな」というあなたにこそ、読んでいただきたい内容です。きっと、この記事を読み終える頃には、今まで以上に「くるみ」という楽曲が愛おしくなっているはずですよ。
1. 【ミスチル】名曲「くるみ」の歌詞の意味を徹底考察!心に響く4つのメッセージとは?
Mr.Childrenが2003年11月19日にリリースした25枚目のシングル「掌/くるみ」。中でも「くるみ」は、その心温まるメロディーと、聴く者の心に深く染み渡る歌詞で、発売から20年以上経った今なお、多くのファンに愛され続けている不朽の名曲です。この楽曲は、オリコン週間シングルチャートで初登場1位を獲得し、2004年度の年間シングルランキングでは2位に輝くなど、商業的にも大成功を収めました。しかし、この曲の本当の価値は、そうした数字だけでは測れないところにあります。
それは、聴く人それぞれの人生の局面に寄り添い、解釈の余地を豊かに残した「歌詞」の力に他なりません。あなたがこのミスチルの名曲を聴くとき、その歌詞はどのように心に響きますか?失恋の歌、人生の応援歌、あるいは過去へのノスタルジーを歌った曲でしょうか。どれも正解であり、その時々のあなたの心境によって、歌詞は万華鏡のようにその表情を変えます。
この記事では、そんなミスチル「くるみ」の歌詞が持つ普遍的な感動の源泉を、4つの重要なメッセージに焦点を当てて、マニアックな視点から徹底的に解き明かしていきます。「この曲が好き」という気持ちを、もう一歩先の「深い理解」へと導く、そんな歌詞の旅にあなたをお連れします。
「くるみ」が愛され続ける理由
ミスチルの「くるみ」がこれほどまでに長く、多くの人々に愛され続ける最大の理由は、その歌詞が持つ「余白」の美しさにあると私は考えています。桜井和寿さんが紡ぐ言葉は、非常に具体的でありながら、同時にどこまでも普遍的。そのため、リスナーは歌詞の主人公に自分自身を投影し、自らの物語として受け取ることができるのです。
例えば、あなたが学生時代にこの曲を聴いたなら、進路に悩む自分と歌詞を重ねたかもしれません。社会に出て理不尽な壁にぶつかった時には、「僕のした単純作業が」というフレーズに共感したかもしれません。大切な人との別れを経験した時には、「良かった事だけ思い出して」という歌詞に涙したかもしれません。このように、人生のあらゆるステージで、ミスチル「くるみ」の歌詞は私たちに寄り添い、新たな意味を与えてくれるのです。
これから解説する4つの論点
この記事では、そんな多面的な魅力を持つミスチル「くるみ」の歌詞の世界を、より深く理解するために、以下の4つの論点を中心に考察を進めていきます。
-
歌詞の核心:「ねえ くるみ」は誰への呼びかけ?
-
歌詞の深掘り:「歯車」が象徴するものとは?
-
歌詞の転換点:「良かった事だけ思い出して」に込められた本当の意味
-
歌詞から見る未来:「くるみ」が導く希望への歩み
これらの論点を一つひとつ丁寧に紐解いていくことで、あなたがこれまで何気なく聴いていた「くるみ」の歌詞に、新たな発見と感動が生まれることをお約束します。さあ、一緒にミスチルの奥深い歌詞の世界へ旅立ちましょう。
この記事で得られること
このマニアックな歌詞考察を通して、あなたはミスチル「くるみ」という一曲から、人生をより豊かに生きるためのヒントを得られるかもしれません。歌詞に込められたメッセージは、単なる楽曲の解説に留まらず、私たちが日々直面する悩みや葛藤、そして未来への希望と深く結びついています。
ただ曲を「聴く」だけでなく、歌詞を深く「読み解く」ことで、音楽体験はより立体的で感動的なものになります。この記事が、あなたとミスチル「くるみ」との関係を、より一層特別なものにするきっかけとなれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。
2. ミスチル「くるみ」歌詞考察①:「ねえ くるみ」は誰への呼びかけ?未来の自分との対話
ミスチルの楽曲「くるみ」を聴いて、誰もが最初に抱く疑問。それは、曲中で何度も繰り返される「ねえ くるみ」という呼びかけが、一体誰に向けられたものなのか、ということではないでしょうか。この「くるみ」という存在の正体こそが、この名曲の歌詞全体の意味を解き明かす上で最も重要な鍵となります。
一般的には「過去の恋人」や「架空の女性」と解釈されることが多いですが、ここではもう一歩踏み込んだ、少しマニアックな視点からこの謎に迫ってみたいと思います。それは、「くるみ」とは「これから来る未来の自分自身」への呼びかけではないか、という解釈です。この視点に立つことで、歌詞の持つメッセージがより深く、そして普遍的なものとして私たちの胸に響いてくるのです。
一般的な解釈:「過去の恋人」説
まずは、最も一般的で自然な解釈から見ていきましょう。歌詞の中には、「出会った日のように」「また何処で会えるといいな その時はまた笑って」といったフレーズが登場します。これらの言葉から、かつて愛したけれど今はもう会えなくなってしまった「過去の恋人」に語りかけていると捉えるのは、ごく自然なことです。
別れた恋人の名前が「くるみ」だった、あるいは「くるみ」という愛称で呼んでいたのかもしれません。そう考えると、この曲は切ない失恋ソングとして、私たちの心に染み渡ります。楽しかった日々の思い出、そして叶わなかった未来への想い。「良かった事だけ思い出して」という歌詞も、辛い別れを乗り越えようとする健気な心境の表れとして、非常にリアルに感じられます。この解釈は、多くの人が共感できる、ミスチル「くるみ」の一つの側面を的確に捉えています。
しかし、ミスチルの歌詞の奥深さは、こうした一つの解釈だけに留まらないところにあります。
少しマニアックな新解釈:「未来の自分」説
ここで私が提唱したいのが、「くるみ」=「未来の自分」説です。「くるみ」という言葉の響きから、「これから来る未来の自分」=「来る未(くるみ)」という、言葉遊びのような解釈を耳にしたことがある方もいるかもしれません。しかし、これは単なる語呂合わせに留まらない、歌詞の本質に迫る重要な視点だと私は考えます。
この解釈で歌詞を読み解くと、「ねえ くるみ」という呼びかけは、現在の自分が未来の自分へと思いを馳せ、語りかける「自己との対話」のシーンとして立ち上がってきます。
h4. 希望と失望の狭間で
歌詞の冒頭、「希望の数だけ失望は増える それでも明日を夢見る」という一節は、この「未来の自分」説を強力に裏付けています。私たちは未来に希望を抱きますが、人生はそう簡単にはいきません。期待が大きければ大きいほど、それが叶わなかった時の失望もまた大きくなる。これは、誰もが経験する人生の真理です。
この現実を受け入れた上で、それでもなお「明日を夢見る」主人公。彼は、未来の自分がどんな姿になっているのか、不安と期待の入り混じった複雑な想いを抱いています。「ねえ くるみ、あれからの僕は相変わらずだけど」と、現在のダメな自分を報告しつつも、「それでも未来に僕は期待する」と力強く宣言します。これはまさに、理想の未来の自分(=くるみ)に向かって、「今はまだ道半ばだけど、必ず君のいる場所に辿り着いてみせるよ」と誓いを立てているのではないでしょうか。
h4. 自己との対話というテーマ
この「未来の自分」との対話というテーマは、私たちに深い示唆を与えてくれます。私たちは日々、目の前の出来事に追われ、自分自身と向き合う時間を忘れがちです。しかし、時折立ち止まり、未来の自分がどうなっていたいのかを想像することは、現在の生き方を見つめ直すための重要なきっかけとなります。
心理学の世界では、「セルフ・コンパッション(self-compassion)」という概念が注目されています。これは、困難な状況にある自分に対して、他人に向けるのと同じような思いやりや優しさを持って接するという考え方で、テキサス大学オースティン校のクリスティン・ネフ博士によって提唱されました。未来の自分(=くるみ)に優しく語りかけるという行為は、まさにこのセルフ・コンパッションの実践と言えるかもしれません。辛い現実の中にいる現在の自分を、未来の視点から優しく包み込み、励ます。ミスチル「くるみ」の歌詞には、そんな自己治癒のプロセスが描かれているのです。
この名曲「くるみ」が、単なる失恋ソングに留まらず、聴く者に深い勇気と希望を与えてくれるのは、このような「自己との対話」という普遍的なテーマを内包しているからに他なりません。
3. ミスチル「くるみ」歌詞考察②:「歯車」が象徴するものとは?社会と個人のリアルな葛藤
ミスチル「くるみ」の歌詞の中で、多くの社会人リスナーが自らのことのように感じ、深く共感するフレーズ。それが、「僕のした単純作業が この世界を回り回って」「誰かの笑顔を作ってゆく そんな些細な生き甲斐が 日常を彩ってゆく」そして「歯車になれたらいいな」という一連の歌詞ではないでしょうか。
この「歯車」という言葉は、非常に象徴的です。それは単に「仕事」や「労働」を意味するだけではありません。社会という巨大なシステムの中で、自分という個人がどう関わり、どんな役割を果たせるのか。その存在意義を問い求める、現代人のリアルな葛藤そのものを描き出しているのです。このセクションでは、ミスチルの歌詞がいかに巧みに、個人と社会との関係性を浮き彫りにしているのかを深掘りしていきます。
社会のシステムと「単純作業」
「僕のした単純作業」。この言葉に、あなたはどんなイメージを抱きますか?毎日繰り返されるルーティンワーク、全体像が見えにくい分業化された業務。現代社会において、多くの人々がこうした「単純作業」に従事しています。そして、その仕事が一体、社会全体の中でどのような意味を持っているのか、実感しにくいという感覚を抱いたことがある人も少なくないでしょう。
この感覚は、産業革命以降の近代社会が抱える普遍的なテーマでもあります。例えば、映画監督チャーリー・チャップリンが1936年に公開した名作『モダン・タイムス』では、巨大な工場のベルトコンベアで、主人公がひたすらネジを締め続ける姿がコミカルかつ風刺的に描かれています。彼はまさに、機械の一部品、一個の「歯車」として描かれていました。
ミスチル「くるみ」の歌詞に登場する主人公もまた、自らの仕事を「単純作業」と認識しています。しかし、彼はそれを決して悲観的には捉えていません。むしろ、「この世界を回り回って 誰かの笑顔を作ってゆく」と信じようとしています。自分の小さな仕事が、見えないところで誰かの幸せに繋がっている。そう想像することで、日々の労働に「些細な生き甲斐」を見出そうとしているのです。この健気な姿に、私たちは心を打たれます。
「歯車になれたらいいな」という切実な願い
そして、このパートの核心となるのが「歯車になれたらいいな」という歌詞です。一見すると、これは個性を捨てて社会の部品になることを受け入れる、諦めの言葉のように聞こえるかもしれません。しかし、歌詞の文脈を丁寧に読み解くと、その意味は全く逆であることに気づきます。
これは諦めではなく、むしろ「切実な願い」なのです。社会という巨大な機構の中で、自分もその一部として確かに機能したい。誰かの役に立ち、必要とされる存在でありたい。この感覚は、アメリカの心理学者エイブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」における「所属と愛の欲求」に通じるものです。人間は、生理的欲求や安全の欲求が満たされると、次に集団に所属し、仲間から受け入れられたいという欲求を抱く、とマズローは述べました。
つまり、「歯車になれたらいいな」という歌詞は、「社会から必要とされない孤独な存在」ではなく、「社会と繋がり、貢献できる一員でありたい」という、人間の根源的な願いの表れなのです。特に、就職活動で挫折したり、職場で自分の存在価値を見失いそうになったりした経験のある人にとって、この歌詞は痛いほどリアルに、そして温かく響くのではないでしょうか。
ミスチルが描き続けるテーマ
このように、社会と個人の関係性を描き出すのは、ミスチルの歌詞世界における重要なテーマの一つです。例えば、1995年の楽曲「es 〜Theme of es〜」では、「僕らはEs(エス)でさまよってる」と歌い、社会の中で見えない力(Es=自我、本能)に突き動かされる人間の姿を描きました。また、1999年の「光の射す方へ」では、「“社会”が僕を急かしたって」と、社会の圧力に抗いながらも自分の道を探す若者の焦燥感を歌っています。
これらの楽曲の系譜の中に、この「くるみ」も位置づけることができます。しかし、「くるみ」の歌詞が特筆すべきなのは、社会との対立や抵抗ではなく、「調和」への願いを歌っている点です。巨大なシステムに飲み込まれるのでも、反発するのでもなく、その中で自らの役割を見出し、ささやかな生き甲斐を感じながら生きていきたい。この成熟した視点こそ、2003年当時のミスチルが到達した境地であり、多くの大人のリスナーの共感を呼ぶ理由なのでしょう。
「歯車」という一つの言葉から、これほどまでに深い社会と個人の物語を紡ぎ出す。これぞまさしく、Mr.Childrenというバンドの、そして桜井和寿というソングライターの真骨頂と言えるでしょう。
4. ミスチル「くるみ」歌詞考察③:「良かった事だけ思い出して」に込められた本当の意味
ミスチル「くるみ」の楽曲構成において、大きな転換点となり、聴く者の感情を最高潮に高めるのが、「良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる」という、あまりにも有名で印象的なこのフレーズです。この歌詞を聴いて、思わず胸が締め付けられたり、涙がこぼれたりした経験を持つ人は数え切れないほどいるでしょう。
一聴すると、これは辛い現実から目を背け、楽しかった過去に浸る「現実逃避」や「ノスタルジー」の歌のように聞こえるかもしれません。しかし、この歌詞に込められた本当の意味は、それほど単純なものではありません。むしろ、これは過去の辛い経験や苦い記憶も全て受け入れた上で、それを未来へ進むためのエネルギーに変えようとする「積極的な肯定」の姿勢を示しているのです。
単なるノスタルジーとの決別
「良かった事だけ思い出して」という行為自体は、誰にでも経験があるでしょう。辛い時、楽しかった頃を思い出して心を慰める。しかし、この歌詞の後に続く「やけに年老いた気持ちになる」という言葉が、このフレーズを単なる感傷的なノスタルジーから一線を画す、深みのあるものへと昇華させています。
もし、これが単なる現実逃避であれば、「幸せな気持ちになる」とか「温かい気持ちになる」といった表現になるはずです。なぜ、わざわざ「年老いた気持ち」という、少しネガティブにも取れる言葉を選んだのでしょうか。ここに、桜井和寿さんのソングライターとしての凄みがあります。
「年老いた気持ち」とは、単に年齢を重ねたという意味ではありません。それは、人生の甘いも酸いも噛み分けるほど、数多くの経験を積んできたからこそ到達できる、ある種の「達観」や「諦念」、そして「優しさ」が入り混じった複雑な心境を表しているのです。良いことも悪いことも、全てを経験してきた。その上で、あえて「良かった事」に焦点を当てる。その選択ができること自体が、精神的な成熟の証なのです。
辛い過去をも受け入れる「積極的な肯定」
つまり、「良かった事だけ思い出して」という行為は、辛かった過去を「なかったこと」にするための記憶の書き換えではないのです。むしろ、その逆です。忘れたいほどの辛い記憶や、思い出すだけで胸が痛むような出来事が「確かにあった」という事実を、まず静かに受け入れる。その上で、それでもなお人生には素晴らしい瞬間もあったのだと、自らに言い聞かせているのです。
これは、ポジティブ心理学の分野で語られる「レジリエンス(精神的な回復力)」や「自己受容」の考え方に通じるものがあります。ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン博士は、幸福な人生を送るための要素として「PERMAモデル」を提唱しましたが、その中の一つに「Meaning(意味・意義)」があります。これは、自らの人生や過去の出来事にポジティブな意味を見出すことで、幸福感が高まるという考え方です。
ミスチル「くるみ」の主人公は、過去の全てを抱きしめた上で、「良かった事」を思い出すという行為によって、自らの人生を肯定し、未来へ向かうための意味を見出そうとしています。これは、現実から逃げる弱さではなく、現実と向き合う「強さ」の表れなのです。
「年老いた気持ち」がもたらす深みと優しさ
「年老いた気持ち」になる、という感覚。それは、若い頃のような無邪気な楽観主義とは異なります。数々の失敗や挫折、別れを経験し、「希望の数だけ失望は増える」という人生の法則を身をもって知ったからこそ、手放しで未来を信じることはできなくなっている。
しかし、その代わりに得たものがあります。それは、他人の痛みがわかる優しさであり、思い通りにならない人生を許す寛容さであり、そして、不完全な自分自身を赦す心です。そうした深みを帯びた感情が、「年老いた気持ち」という言葉には凝縮されています。
だからこそ、この歌詞は私たちの心を強く揺さぶるのです。綺麗事ではない、人生のリアルな手触りがあるからこそ、私たちはこの言葉に深く共感し、救われるのです。ミスチル「くるみ」のこのフレーズは、傷つきながらも懸命に生きるすべての大人たちへの、温かくも力強い応援歌と言えるでしょう。
5. ミスチル「くるみ」歌詞考察④:「くるみ」が導く希望への歩み
物語がクライマックスを迎え、感動的な大サビ「良かった事だけ思い出して」を経た後、ミスチル「くるみ」の歌詞は、静かでありながらも確かな希望を湛えた、未来への展望を描き出してエンディングへと向かっていきます。それが、最後のフレーズ「また何処で会えるといいな その時はまた笑って」に込められたメッセージです。
この最後の呼びかけは、この名曲が単なる過去への哀愁や自己完結の歌ではないことを明確に示しています。ここには、過去との決別ではなく、全ての経験を自分の力に変えて未来へと歩み出そうとする、人間のしなやかな力強さが表現されているのです。このセクションでは、ミスチル「くるみ」の歌詞が最終的に私たちをどのような希望へと導いてくれるのかを考察します。
過去との決別ではない、未来への約束
「また何処で会えるといいな」。この言葉の対象が誰であれ――それが「過去の恋人」であれ、「未来の自分」であれ、あるいはかつて道を分かった友人であれ――、ここには明確な「未来」への視線があります。
重要なのは、これが「さようなら」という決別の言葉ではない、ということです。「良かった事だけ思い出して」過去を肯定した主人公は、その過去を完全に捨て去るのではありません。楽しかったことも、辛かったことも、全ての経験を抱きしめたまま、前を向こうとしています。これは心理学で言うところの「心的外傷後成長(Post-Traumatic Growth)」の概念とも響き合います。この理論は、ノースカロライナ大学シャーロット校のリチャード・テデスキ博士らによって提唱され、非常に辛い出来事を経験した人が、その経験を乗り越える過程で、以前よりも精神的に大きく成長するという現象を指します。
ミスチル「くるみ」の主人公は、失望や後悔といった心の傷を経験しながらも、それを乗り越え、人としてより深みを増した状態で未来へ向かおうとしています。そして、「また会う」という未来の約束を自らに課すことで、前に進むためのモチベーションを生み出しているのです。
出会いと別れを繰り返す人生の真理
「また何処で会えるといいな」という歌詞は、人生の普遍的な真理をも私たちに教えてくれます。私たちの人生は、出会いと別れの連続です。進学、就職、結婚、転居…様々なライフステージの変化の中で、私たちは多くの人々と出会い、そして同じくらい多くの人々と別れを経験します。
時には、その別れが耐え難いほど辛いものであったとしても、人生は続いていきます。そして、別れた人々が、それぞれの場所でそれぞれの人生を歩んでいる。そう信じることが、私たちに残された希望となります。この歌詞は、そうした人生の摂理を優しく受け入れ、未来における偶然の再会に淡い期待を寄せる、人間の健気で美しい心を描いています。
ミスチルの歌詞の多くは、こうした人生における出会いや別れの機微を巧みに捉えていますが、「くるみ」のそれは特に、温かさと前向きなエネルギーに満ちています。
「その時はまた笑って」が約束する希望
そして、この楽曲の希望を決定的なものにするのが、「その時はまた笑って」という最後の言葉です。ただ再会を願うだけでなく、「笑顔で」会いたいと願う。ここに、この歌が持つポジティブな力が集約されています。
これは、未来への非常に具体的で、力強い約束です。次に会う時までには、お互いに胸を張れるような、笑顔でいられるような人生を歩んでいようね、というメッセージ。もし呼びかけの対象が「未来の自分」ならば、「理想の自分になった暁には、心から笑えるようになっているはずだ」という、自分自身との固い約束になります。
この「笑って」という一言が、聴く者の心に温かい光を灯します。今は辛くても、苦しくても、未来には必ず笑顔になれる日が来る。ミスチル「くるみ」は、そう信じさせてくれる力を持っています。楽曲の最後を、このような明確な希望のイメージで締めくくることで、この名曲は単なる感傷的なバラードではなく、聴く者の背中をそっと押してくれる、人生の応援歌として私たちの心に深く刻まれるのです。
6. 【体験談】私が人生に迷った時、ミスチル「くるみ」の歌詞が教えてくれたこと
ここまで、ミスチルの名曲「くるみ」の歌詞について、様々な角度からマニアックな考察を重ねてきました。理論や解釈を語ることはできても、この曲の本当の素晴らしさは、やはり個人の人生と深く結びついた時にこそ、最大限に発揮されるのだと私は信じています。
そこで最後に、少し個人的な話になりますが、私自身が人生の岐路に立ち、どうしようもなく迷っていた時に、このミスチル「くるみ」の歌詞にどれだけ救われ、何を教えられたのか、という体験談をお話しさせてください。この記事を読んでくださっているあなたにとっても、この曲が「自分ごと」として感じられる、特別な一曲になるきっかけになれば幸いです。
就活の挫折と「歯車になれない」絶望感
あれは、2010年代初頭のことでした。世は就職氷河期の真っ只中。大学でそれなりに勉強も頑張り、サークル活動にも打ち込んできた私は、どこか楽観的に自分の未来を考えていました。しかし、現実はあまりにも厳しかったのです。
エントリーシートは何十社と送り、そのほとんどが書類選考で祈られました。たまに進んだ面接では、うまく自分をアピールできず、手応えのないまま不合格通知を受け取る日々。周囲の友人たちが次々と内定を決めていく中で、私の心は焦りと劣等感で黒く塗りつぶされていきました。「社会は自分を必要としていないんじゃないか」「自分は社会という大きな機械の『歯車』にすらなれない、出来損ないの部品なんじゃないか」。そんな絶望感に苛まれ、部屋に引きこもりがちになっていました。
そんなある日、イヤホンからランダムで流れてきたのが、ミスチルの「くるみ」でした。何気なく聴いていた私の耳に、あの歌詞が突き刺さってきたのです。
「歯車になれたらいいな」
その瞬間、涙が溢れて止まらなくなりました。しかし、それは絶望の涙ではありませんでした。それまで私は、「歯車になる=個性を失うこと」のようにネガティブに捉えていました。でも、桜井さんの優しい歌声でこの歌詞を聴いた時、全く違う意味で心に響いたのです。「そうか、自分は『歯車になりたかった』んだ」と。社会の一員として、誰かの役に立ちたかった。自分の仕事で、誰かを笑顔にしたかった。その純粋で根源的な願いに、初めて気づかされたのです。
この曲は、「歯車になれなくてもいいよ」と慰めてくれるのではありませんでした。むしろ、「歯車になりたいと願う君の気持ちは、とても尊いものだよ」と、私の願いそのものを肯定してくれたのです。この日を境に、私は「自分は社会不適合者だ」という自己否定から抜け出すことができました。「今はまだ合う歯車が見つからないだけだ」と前向きに捉え直し、再び就職活動に立ち向かう勇気をもらったのです。このミスチルの歌詞がなければ、今の私はいなかったかもしれません。
大切な人との別れと「良かった事だけ思い出して」
それから数年後。私は社会人として、それなりに充実した日々を送っていました。そして、人生を共に歩みたいと心から思える大切な人とも出会いました。しかし、人生は思い通りにいかないものです。些細な価値観のすれ違いが積み重なり、私たちは別々の道を歩むことを選びました。
頭では理解していても、心は簡単には追いつきません。楽しかった思い出が蘇るたびに、胸が張り裂けそうになる。街の景色、聴こえてくる音楽、何気ない日常の全てが、失われた日々と結びついて、私を苦しめました。「いっそ、全部忘れてしまいたい」。そう思えば思うほど、記憶は鮮明になり、前に進むことができませんでした。
そんな時、再び私を救ってくれたのが、やはりミスチル「くるみ」でした。特に、「良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる」という歌詞です。
それまでの私は、辛いからこそ、無理に「良かった事」を思い出さないように蓋をしていました。でも、この歌詞は「思い出してもいいんだよ」と語りかけてくれた気がしたのです。そして、「年老いた気持ちになる」という言葉に、ハッとさせられました。この別れという経験は、確かに辛いけれど、私を一つ大人にした、人間的に成長させてくれた経験でもあるのではないか。そう思えたのです。
無理に忘れる必要はない。楽しかった思い出も、辛かったこの気持ちも、全てが今の私を作っている大切な一部なんだ。そうやって過去を丸ごと受け入れることができた時、心にあった大きな棘が、ふっと抜けていくのを感じました。思い出を美化するのでも、消去するのでもなく、ただ静かに抱きしめる。この歌詞が教えてくれた「積極的な肯定」の姿勢は、その後の私の人生における、大きな指針となっています。
今、30代の私が「くるみ」を聴いて思うこと
そして今、30代になった私がこのミスチルの名曲「くるみ」を聴くと、また新たな感慨が湧き上がってきます。若い頃は「歯車」や「失恋」といった、目の前の具体的な悩みにこの歌詞を重ねていました。しかし今は、この曲全体が、まるで「未来の自分からの手紙」のように聴こえるのです。
「ねえ くるみ(未来の私)、今の私は相変わらずだけど、それでも明日に期待しているよ」。そんな風に、自分自身と対話する時間を与えてくれます。過去の自分を振り返り、「良かった事だけ思い出して」、色々な経験を積んできたなあと、愛おしい気持ちになる。そして、「また何処で会えるといいな」と、これから先の人生で出会うであろう、より成長した未来の自分に期待を寄せるのです。
このミスチル「くるみ」という一曲は、私の人生のサウンドトラックです。そして、きっとあなたの人生にも寄り添ってくれるはずです。もし今、あなたが何かに迷ったり、傷ついたりしているのであれば、ぜひこの名曲の歌詞に、じっくりと耳を傾けてみてください。そこに、あなたの心をそっと照らす光が、見つかるかもしれませんから。

大学を卒業後、酒類・食品の卸売商社の営業を経て2020年2月に株式会社ブレーンコスモスへ入社。現在は「無添加ナッツ専門店 72」のバイヤー兼マネージャーとして世界中を飛び回っている。趣味は「仕事です!」と即答してしまうほど、常にナッツのことを考えているらしい。